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エレクトロニック・ダンスミュージックをベースとした幅広い音楽性が支持され、海外のダンス・チャートにランクインしてきたDJ URAKEN氏。現在は、ダンス・ミュージックに留まらず、テレビ、ラジオ、ゲームなど多方面でのサウンド・プロデュースや、ヴィレッジヴァンガードの金田謙太郎氏とRIZM DEVICEを結成し水曜日のカンパネラのリミックスを担当するなど、日本、UK、オーストラリアなどワールドワイドに精力的な活動を続けています。そんなDJ URAKEN氏のトラック・メイキングに欠かせないのがPreSonusのStudio One。その優れた音質と直感的な操作性に惹かれ、10年以上使い続けたDAWからSWITCH。Studio Oneの魅力とトラック・メイクのテクニックを独占インタビュー。

    

ロンドンのレイヴ・イベントで衝撃を受け、日本でハッピー・ハードコア・イベントをオーガナイズ

—— 音楽に目覚めた切っ掛けとは
 最初に意識して聴き始めたのは小学生の時で、周りの友達の間で流行っていたTM NETWORKなんかをよく聴いていましたね。中学生になってからは、友達はそのままJ-POPを聴いていたのですが、僕はTM NETWORKから遡る様にYMOや坂本龍一さんといった音楽を聴き始めました。音楽を聴くこと自体、かなり好きでしたね。僕は当時、スポーツ少年で、部活に夢中だったこともあり、リスニング専門でしたから、楽器にはまったく興味無かったですね(笑)。

ロンドンでのエピソードを語るDJ URAKEN氏
ロンドンでのエピソードを語るDJ URAKEN氏

 高校生になると、クラブ・ミュージックが流行り始めたので、クラブ・ジャズを好んで聴き始めました。僕は長崎出身で、大学に進学するのと同時に横浜に出てきたのですが、そこからはもうクラブにばっかり行ってました(笑)。ターンテーブルを手に入れたのもその頃です。最初はMacが欲しくてバイトしてお金を貯めていたのですが、買いに行ったら何故かターンテーブルの方が欲しくなってしまって、結局そっちを買ってしまいました(笑)。その時はDJになりたいとか、そういう欲求は無かったのですが、少し経って友達からイベントで回してみないかと誘われて..。そこから徐々にDJとして活動するようになっていきましたね。

—— 当時のクラブシーンの音楽性とは
 テクノとか色々プレイしていたのですが、その当時、大きかったのはハッピー・ハードコアとの出会いですね。そういう音楽が存在することは知っていたのですが、日本にはほとんど情報が入って来なくて、友達とハッピー・ハードコア・シーンの中心であるロンドンに行ってみようということになりました。それが確か1996年、大学3年生の時。ロンドンに到着して最初に訪れたレコード店で、次の日にハッピー・ハードコアのイベントが開催されることを知って足を運んで。体育館の様な所で5,000人以上の人が踊っているレイヴ・イベントだったのですが、それはかなり衝撃的な体験でしたね。オーディエンスは、10代の若者から障害を持った方まで、色々な人達がいるわけですよ。人種も性別も何も関係なく、皆が同じ音楽を心の底から楽しんでいる。その光景を見て、音楽って素晴らしいものだなと改めて感じました。

 ロンドンには2週間滞在して、帰国後にハッピーハードコアのイベントを早速始めて。その当時、日本では全く知られていない音楽だったので、最初は何だこれ?という反応でしたけど(笑)。それでも続けていたら、日本でも徐々にシーンが盛り上がっていきました。そして大学4年生の時、渋谷にハッピー・ハードコアのレコード・ショップをオープンするという話になって、僕が店長に任命されてしまったのです(笑)。まだ大学生だったので、レコード・ショップの店長と学生の両立は大変だったのですが何とか続けて..。卒業後もその店で働き続けましたよ。

DJ UFOの制作スタイルに刺激され、コンピューター内部完結スタイルに移行

 イベントを続けている内に自分でも制作をやってみたくなり、そんな時にイギリスのスタジオに居た知り合いのプロデューサーに誘ってもらいました。彼はドラムンベースのプロデューサーで、自分のスタジオも所有していて、最初はそこに遊びに行きながら機材の使い方を覚えていきましたね。機材の使い方は彼が教えてくれたわけですけど、音楽的なことは教えてくれる人がいなかったので、曲作りに関しては完全に独学ですね。そうやって完成したトラックをDATに録音してクラブでかけて、ミックスのバランスや音圧を修正する作業をひたすらやっていました。その内、制作案件でも仕事が入るようになり、ゲームのサウンド・トラックのリミックスなどを手掛けるようになりました。オリジナル曲を初めて発表したのは、2000年にポリドールからリリースされたミックスCDですね。他にも、イギリスのレーベルから12インチをリリースしたり、 ゲームの楽曲のリミックスや野外フェス用のCDなど、色々な仕事をやっていましたよ。

—— アーティスト活動の転機となった作品は
 よく憶えているのはイギリスのBriskというプロデューサーとコラボレーションした「戦場のメリークリスマス」のカバー。このトラックは、イギリスでは有名なコンピレーションCDの1曲目に採用されました。日本国内では、ゲームの「beatmania」に提供した曲が一番知られているかもしれませんね。いずれも思い出深いトラックです。

DJ URAKEN氏のStudio Oneをコアとした内部完結スタイルの制作環境
DJ URAKEN氏のStudio Oneをコアとした内部完結スタイルの制作環境

—— これまでの制作環境とは
 最初に機材の使い方を教えてくれたプロデューサーが、ATARIとCubaseの組み合わせでハード音源を鳴らし、ミキサーでミックスするという構成だったので、僕もそのスタイルで始めました。MacとCubase、AKAI S3000XL、ミキサーというセットですね。その後、JV-2080、Nord Lead II、KS Rackなど、ハード音源がどんどん増えていきました。

 機材に溢れた環境で作業していたのですが、2000年頃にリミックスの仕事でDJ UFOとコラボレーションするためにイギリスに行く機会があって、彼はCubaseとReasonでトラック・メイクしていて、ハードウェアをほとんど使用せずコンピューター内ですべてが完結したスタイルでした。そのシンプルな制作環境に衝撃を受けましたね。帰国後も知り合いのサウンド・エンジニアさんから「これからはソフト・シンセがハード・シンセに取って代わる」なんて話を聞いたりして、自分もソフトを中心としたシンプルな制作環境に移行したいと思っていました。ただ、当時はパワフルなMacがとても高価で、高速なコンピューターはWindowsの方が安価だったんですよね。そのタイミングでWindowsに移行したのですが、その当時、周りの友人達が音楽制作向けに凄くパワーのあるWindowsのコンピューターを自作し始めていたので、僕も自作する様になり、コンピューター内で全て完結するスタイルにしました。今思えば、内部完結するスタイルへ移行したのは、結構早かったのではないかと思います。

Studio One Professionalクロスグレード版の詳細

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Studio One純正オーディオ・インターフェースの詳細

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