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トム・オーバーハイム
Retina Display Ready

Oberheimは、MOOGとともに誰もが知っているシンセサイザーの代名詞。しかし、Keyboard誌での連載やドキュメンタリー映画等を残したボブ・モーグ博士に対して、トム・オーバーハイム氏が如何なる軌跡でそのオリジナリティ溢れるエレクトロニック・デバイスの開発に着手し、今もその歴史的なサウンドで数多くのミュージシャンを魅了する「オーバーハイム・シンセサイザー」の製品化に至ったのかはあまり語られていない。また多くの人々は、彼がMMA(MIDI Manufactures Association)の第1回会議の議長としてライバル関係だった米国各社を取りまとめ、今日のMIDI発展の礎を築くべく奔走した人物だったことも知らないかもしれない・・・。そこで、エムアイセブンジャパンでは、トム・オーバーハイム氏の書き下ろしによる「自伝」を掲載。モーグ博士が鬼籍に入られた今、電子楽器、電子音楽の世界における唯一の「語り部」であるトム・オーバーハイム氏による物語は、電子楽器愛好家、電子音楽愛好家、音楽ファンにとって貴重なノンフィクション・ストーリーとなるでしょう。

        

早い時期から技術的な事と電気的な事象に対して興味を頂く

—— 少年時代〜青年時代
 私は1936年7月7日に米国カンザス州マンハッタンで生まれました。そこは、地理的には北米48州の中心点にほど近く、ニューヨーク州のマンハッタンがビッグアップルと呼ばれるのに対してリトルアップルと呼ばれる町で、新聞記者であり作家としても著名なデイモン・ラニアン生誕の地でもありますが、一般にはカンザス州立大学があることで知られる地です。なにしろ、私の子どもの頃の人口比率は、市民5,000人に対して学生が5,000人位でした(現在は市民約50,000人、学生は約25,000人とのこと)。父は市バス路線を経営し、母は専業主婦、というのが私の学生時代を通じての家庭環境。ユニオン・パシフィックとロック・アイランドというふたつの鉄道が幹線としてマンハッタンを経由していたので、私の幼い頃の興味といえばまずは「鉄道」でした。

 マンハッタンは、カレッジタウンだったので(現在のカンザス州立大学はそもそもカンザス州立カレッジ)優れた初等/中等教育を受けるには適していて、おかげで私は英単語の綴り方をとても良好に習得することができたのです。また、大学のスポーツ競技が身近にある環境というのも素晴らしいことでした。その頃のカンサス州立大学は、アメリカンフットボールでは最下位の弱小チームではありましたが、バスケットボールではたびたび優勝を狙う強豪チームだったのです。

 技術的な事と電気的な事象に対する私の興味は、早い時期から始まりました。10歳のクリスマスに電動モーターキットをもらったことは今でも良く憶えています。やがて、鉱石ラジオが私のコレクションに加わると、時間を忘れてそれに没頭したのです。この鉱石ラジオをきっかけに、ラジオ関連の技術的な書籍を読むようになり、色々なこと・・・、例えばダイオードとは何かといった事を学び始めました。

学校帰りに様々な疑問を携えて地元のラジオ修理店に入り浸る

 そんなある日、私は誰かが捨てた古いコンソール型の真空管ラジオをゴミ捨て場から拾って来て、そこには如何なる真空管が使われているのかと調査を開始したのです。発見した真空管のひとつは「80タイプ」で、当時、ラジオの電源整流用(技術的にはダイオード)に使われていたものでした。はたして、この80タイプの真空管は私の鉱石ラジオのクリスタルと換装できるのだろうか?そんな疑問を心に抱いて地元のラジオ修理店へと向かったのです。そして、そのアイデアが何らかの意味を持つものなのかどうかを店主に質問したのです。すると店主は、とても親切に私のアイデアがなぜ機能しないのか説明してくれ、加えて当時生産されていた別の真空管=6H6こそが、クリスタルと同じ働き(検波)をすべく設計されたものである、ということを教えてくれたのです。そして後に、その親切を店主は後悔することになります・・・。その日をきっかけに、ほとんど毎日学校帰りに様々な疑問を携えてはそのラジオ店に入り浸ったのです。

 ある日店主は、電圧増幅用三極管=6J5と使用済みのトイレットペーパーの芯に巻いたコイルで1球式再生検波ラジオを作ってみてはどうかと勧めてくれました。私は、この1球式ラジオを完成させ、ある晴れた夜、遥かかなたのバージニア州のラジオ局から電波を受信することに成功し、その時から私はエレクトロニクスの世界に魅了され始めたのです。

 親切なラジオ店の店主は、私に放課後、時給50セントで床掃除の仕事を与えてくれただけでなく、その合間に真空管ラジオの修理方法を教えてくれたのです。中学生の間ずっとそのラジオ店で働き続け、色々な種類のラジオや電子機器の修理の仕方を覚え、粗末なオシロスコープや沢山のヒースキット社製電子キットを組み立て、“ハイ・フィディリティ”について少しずつ学び始めていました。

Tom Oberheim

 高校時代、いつも楽しみにしていたイベントのひとつがカンザス州立大学工学部主催のエンジニアリング・オープンハウスでした。このオープンハウスの期間中、工学部ではありとあらゆる驚くべきもの—例えば最新のエレクトリック・ガジェット、様々な古い蒸気エンジン(高さ3メートルを越える物も)、初期のテレビ機器等—を展示していたのです。このイベントの開催期間中、時間の許す限りそこで過ごし、エレクトロニクスに関する経験と学習を高校在学中も重ねていったと同時に、機材のとても充実したカメラ店で働き、そこで写真撮影技術について多くを学び、自分で現像液を調合して、スクール・フォトグラファーにもなっていたのです。

 1954年5月に高校を卒業し、その年の秋にカンザス州立大学の電子工学部に進学しました。大学に進むとしたら電子工学部以外にはないと、高校時代から迷うことなく考えていたのです。もちろん、我が家の経済的な理由からも、カンザス州立大学こそが私の行くべきカレッジだったのです。

JAZZ演奏をタダで見るためにカリフォルニア行きを決意

—— 大学時代
 カンザス州立大学に入学した私は、ひたむきな情熱をもって物事に取り組んでいました。そのため、かなり良い成績を収めることができ、人間関係を広めるために同好会にも入り、デートにもいそしみました。しかし、残念ながら懐が寂しかったため放課後は毎日仕事をしなければならず、満足に同好会を続けることもできなかった上、いつしか楽しみな放課後の社交的活動にまったく参加できなくなってしまっていたのです。カンザス州立大学で3期を過ごした私は、さらなる金銭を得るためにマンハッタンを離れる必要性を感じたのです。そうすれば、再び大学に戻ってきた時には学業面でも社交面でも、もっと充実した大学生活を送れ、在学中に働かなくても良いと思ったからです。

 そんな気持ちからマンハッタンを離れ、一年ほどで大学に戻って来る心づもりで、良い仕事を得るためにカンザス州ウィチタへ向かったのです。1956年当時のウィチタの雇用状況はむしろ不況といえるものでしたが、2、3週間ばかり仕事探しをした結果、ウィチタのあるトラック運送会社で運賃請求書を作成する仕事にありついたのです。

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